京都五社めぐり

 

加茂山の 麓の柴の うす緑 こころの色も 神さびにけり (秋篠月清集)九条良経

 

 

『城南宮〜松尾大社〜上加茂神社:加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)〜平安神宮〜八坂神社(祇園社)』・・チャリン破!(0  ^〜^)ノ

 

【京都五社めぐり朱印色紙】

平安京にゆかりの深い・・・京都五社朱印めぐり

古都の町中に点在する古名刹の五社を訪ねる旅。千年も続いた京の都は「四神相応」と讃えられます。方角を司る「四獣神」・・玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する都として造営されました。うらうらと朝日が昇る東山山麓に八坂神社広々とした桂川を渡った西に松尾大社、水清き加茂川が流れ出る北に加茂別雷神社(上加茂神社)、鴨川と桂川が出合う南に城南宮。古来より、都人は都の要所、要所に鎮まるお宮に祈りを捧げそれに応えて神々は、人々の暮らしを守り、願いを聞き届けてきました。四季の祭礼行事と美しい自然に彩られた千年の歴史の京都のお社を巡れば、神々の息吹に触れ清々しい気持ちになります・・・ヽ(^o^)丿

★ 南の守護神・朱雀・・・城南宮【方除け、鬼門除け、旅行安全】

上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来とされます・・・当地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝で、鴨川に臨む水郷の景勝地でした。後に貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代末期に白河上皇が壮大な離宮(城南離宮:鳥羽離宮)を造営して院政を開始しました。上皇の御所、御堂や貴族の宿所などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は都遷りの如くと称されました。白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇の4代(約150年間)に亘り、政治と文化の中心となりました。平安末期頃、紀州・熊野三山に参詣する事が盛んになり出立前に精進潔斎を重ね、道中の無事を祈り旅立ちました。特に白河上皇や鳥羽上皇は熊野詣の精進所として城南離宮をしばしば選ばれ、ここに7日程籠って身を清め、道中の安全を祈願して往復一月にも及ぶ信心の旅に出掛けました。また当時の人々の心を捉えた方違えの宿所に城南離宮が選ばれる事も多く、城南宮の方角の災いを除く方除、旅行安全の信仰を見ることができます。※当社創建由緒より一部引用

城南宮へ・・・高瀬川右岸堤防道 城南宮一の鳥居 手水舎(名水・菊水若水)
城南宮【方除け、鬼門除け、旅行安全】 本殿
久世橋@嵐山サイクリングロード 新幹線桂川鉄橋 堤外人道橋(天神川)を渡ります・・・
桂大橋 阪急電車桂川橋梁 左へ・・・
のどかやな〜ヽ(^o^)丿 愛宕山 愛宕山の勇姿
★ 西の守護神・白虎・・・松尾大社【醸造・酒販業守護、心願成就、健康長寿】

大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと/中津島姫命(なかつしまひめのみこと))を祭神とする旧棺幣大社で京都最古の神社の一です。文武天皇の大宝元年(701年)、秦忌寸都里(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し社殿を造営しその女・知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕させたのが当社の起源で代々秦氏が奉祀しました。平安遷都後、賀茂社と供に王城鎮護神となり賀茂の厳霊、松尾の猛霊と東西並び称されました。大山咋神(おおやまくいのかみ)は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の父神とされ賀茂社とは姻戚関係にあり延喜の制には名神大社となり二十二社の制には第四に班し中世を通して上七社の一に列せられる有数の大社です。寛弘元年(1004年)、一条天皇の行幸以来歴代の行幸、行啓すこぶる多く中世以降は酒造の神として崇敬が篤く氏子地域は京都市の1/3にも及びます

松尾橋 松尾大社【醸造・酒販業守護】 二の鳥居
たぬきのPちゃんズ?!ヽ(^o^)丿 楼門
手水の亀さん(#^.^#) 撫で亀さん(#^.^#) 解説
拝殿 本殿 神泉「亀の井」
ここにも・・亀さん 霊亀の滝と瀧御前社(四大神三宮社) 霊亀の滝
阪急電車・嵐山駅 月が渡るの如く・・・渡月橋と亀山、小倉山と奥に愛宕山
渡月橋 嵐山・・・えぇなぁ〜 (@^▽^@) 上加茂神社へ・・・@丸太町通り
遍照寺山(朝原山:ちょうはらやま 千代原山)と池干し中の広沢池 広沢池と愛宕山
弁慶足型池 世界文化遺産「仁和寺」 きぬかけの路碑
きぬかけの道案内パネル 「虎の子渡しの庭」で知られる龍安寺 世界文化遺産「金閣寺(北山鹿苑寺:ろくおんじ)」
上加茂神社へ・・・ 加茂川 霊峰・比叡山
★ 北の守護神・玄武・・・世界文化遺産「上加茂神社:加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」【厄除け、病気平癒、心願成就】

正しくは加茂別雷(かもわけづち)神社と称し加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祭神とします。下鴨の加茂御祖(みおや)神社を下加茂(鴨)神社と称するのに対して当社は上加茂神社と称し両社を併せて加茂神社と称します。『山城国風土記』の逸文によると日向国より当地に来住した加茂建角身命(たけつぬみのみこと)は伊可古夜日女(いかこやひめ)をめとって玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりのひめ)をもうけました。ある日、玉依日売が瀬見の小川(加茂川)で丹塗の矢とは乙訓郡にいます火雷命(ほのいかづちのみこと)である伝々と記しています。別雷といい、火雷といい、雷神は農作に必要な水を給与する神として古代農民から崇敬されました。この崇敬の心を神話化したのが『加茂伝記』です。従って両社の創建は、すこぶる古く欽明天皇の時代には既に現在の葵祭である加茂祭が存していたと伝えます。平安遷都には王城の守護神とされ伊勢神宮に次ぐ崇敬を得、歴代の皇女が斎王として奉仕されました。延喜の制には名神大社に列し多くの神領が寄進され中世には山城国一ノ宮として社運は隆盛を極めました。本殿(国宝)は三間社、流造り、檜皮葺。権殿(国宝)と東西相並び他の四十棟(重文)とともに世界文化遺産に登録されています。664,000uに及ぶ広大な神域内には幾多の檜皮葺の典雅な社殿が建ち並び、王朝時代さながらの景観を呈しています。

やきもちで知られるお店・・・無事ゲット!!!(^o^)丿 キララくんでつ(#^.^#) 上加茂神社【厄除け、心願成就】
競馬会(くらべうまえ)神事がある参道(馬場) 白馬じゃ〜神馬じゃ〜〜ヽ(^o^)丿 上加茂神社(二の鳥居)
境内 円錐先に神の依代として松葉が立てられる立砂と細殿 御手洗(みたらし)の手水石は舟形の磐座石
岩上 舞殿(橋殿) 御物忌(みものいみ)川
楼門 中門
中門 楢ノ小川
藤原家隆「奈良の小川」歌碑 社家の家並みと明神川
天然記念物・深泥池(みどろがいけ:みぞろがいけ)

上加茂の東、鞍馬街道畔にあり三方を山に囲まれ美度呂池、洫呂(みぞろ)池、泥濘池とも記され早くから正史に現れています。周囲はおよそ1.5km、面積は約9haで、池中に浮島が存在します。 氷河期の生き残りとされる水生植物を始め、昆虫、魚類、野鳥等が共存し、学術的にも貴重な池です。 昭和2年(1927年)、国の天然記念物に指定され、昭和63年(1988年)に生物群集全体に対象が広げられました。

明神川守護神の藤木社、楠は樹齢約500年 国指定天然記念物・深泥池(みぞろがいけ:みどろがいけ)

幽邃な雰囲気を醸し出している国指定天然記念物・深泥池(みぞろがいけ:みどろがいけ)

松崎山妙円寺参道口
日本最古の七福神の一・・・松ヶ崎大黒天(妙円寺)

元和2年(1616年)に建立され、正しくは松崎山妙円寺と号する日蓮宗の寺です。都七福神の一つで、京都の人々からは「松ヶ崎の大黒さん」と親しまれています。8月16日の五山の送り火の一つ「妙法」でも知られています。本尊の大黒天像は伝教大師の作で開運招福の福神として広く信仰を集めています。縁日は年六回の甲子祭(六十日に一回)と正月初子の日などに行われご祈祷、ご幣が授けられます。

「松ヶ崎の大黒さん」と親しまている松崎山妙円寺
おさすり大黒天像 本堂 平安神宮へ・・・
☆ 王朝絵巻の再現・・・平安神宮【病気平癒、心願成就、家内安全】

明治28年(1895年)、平安遷都1100年を記念し桓武天皇、孝明天皇を祭神として創建された旧官幣社で京都市民の氏神として崇敬されています。社殿は大内裏の約2/3に縮小して模造されているのが特徴で平安京創建当時を偲ばせています。応天門は五間三戸、入母屋造り、丹塗りの勾欄を廻らした二層楼門で大極殿(拝殿)は入母屋造り、屋根は碧瓦葺とし棟の両端に燦然たる金色の鵄尾(しび)を載せ中央身屋(もや)の四周に廂間(ひさしのま)を備えます。大内裏八省院の正殿大極殿を模したとされ52本の朱塗りの円柱が整然と列立する様は壮観で本殿は東西に並ぶ二棟の社殿からなり右に桓武天皇、左に孝明天皇を祀り檜の白木造りで四周に透塀を廻らせています。

大文字山ヽ(^o^)丿 平安神宮 応天門 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
大極殿(だいごくでん:拝殿)

平安神宮内の建物は平安京大内裏の正庁である朝堂院を2/3に縮小して模造したもので大極殿は政治を司った所です。碧瓦は、国家の重要な施設でしか使用を許されなかったと伝えます。

白虎楼 大極殿(拝殿)
蒼竜楼 右近の橘 左近の桜
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 大極殿(拝殿)
高さ24.4mもある日本最大級の鳥居 知恩院 円山公園
日本一有名な銘木・しだれ桜 鴨さん(#^.^#) サギくん(#^.^#)
★ 東の守護神・蒼龍・・・八坂神社(祇園社)【病気平癒・試験合格・良縁成就】

創建は甚だ古く、諸説多く明らかでないが、斉明天皇2年(656年)2月、我が国に来朝した高麗の調進副・伊利之使王(いりしのおおきみ:八坂氏祖)が朝鮮の牛頭山(ごずやま)に祀る素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊を移し、子孫代々当社の祀官として奉仕したと伝える事から初め、八坂氏の氏神として創祀されたと思われます。天智天皇の御世、社号を感神(かんじん)院と名付けられ、以来、明治元年(1868年)、八坂神社と改める迄、この社号を用いました。平安初期の貞観年中に僧・円如が播磨国広峰より牛頭天王を勧請し下河原の地に一宇を建てて祇園天神社と号し、朱雀天皇の承平4年(934年)に、傍らに薬師堂を創建し観慶寺と号し、別に祇園寺とも呼んだ為に甚だ紛らわしくなりました。その後、八坂氏が哀徴するに及び中世には、感神院は延暦寺の別院となり、祇園社は日吉の末社となり叡山の僧徒が神輿を奉じて朝廷へ強訴する基地になりました。当社は古来、疫病除けの神として朝野の崇敬篤く、延喜式外社ではあるが、二十二社の内に列せられました。神領は60余ヶ所の多きに及んだが、明治の神仏分離令にあたり寺院を廃し神社のみ残った旧官幣大社です。

八坂神社【病気平癒、試験合格】 境内 忠盛灯篭
知る人ぞ知る・・・美肌効果のあるご神水 拝殿 本殿
南楼門 一の鳥居@南参道 祇園と言えば・・・花見小路
日本最古の禅宗本山寺院・・・建仁寺

東山(とうざん)と号する臨済宗建仁寺派の大本山です。開山・栄西禅師は鎌倉時代の建仁2年(1202年)、源頼家(開基)の帰依を得、中国の百丈山の殿舎を模して建立したのが起こりで土御門天皇は勅願寺とされ、当時の年号によって建仁寺の号を賜りました。創建当時は天台、真言宗の旧仏教勢力が強く天台、真言、禅の三宗兼学を建前とし比叡山の末寺という形で止観院、真言院を設けたが大覚禅師(蘭渓道隆)の時に禅宗のみの寺に改めました。以来、武家の信仰を集め足利義満が五山制度を設けると当寺は第三位となったが中世の兵乱にしばしば罹災しました。天正年間(1573〜1592年)、豊臣秀吉の信任を得た東福寺の恵瓊(えけい)によって復興されましたが仏殿は未だに再建に至らず法堂(はっとう)との兼用になっています。

えぇなぁ〜 (@^▽^@) 建仁寺 庫裏(裡:本坊) 境内
明和2年(1765年)に創建された法堂(はっとう) 小梅ちゃん・・・ (@^▽^@) 三門
平重盛(一説に教盛)の館門を移築した勅使門 京銘菓・幽霊子育て飴(湊屋:みなとや) 夕暮れの京都タワー
JR琵琶湖線(東海道本線)

京都のシンボルタワー・・・京都タワー

鴨川

Tourist  2008.2.11(Mon)

 

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