嵐山、嵯峨野チャリ探訪

 

小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今一度の 御幸またなん (拾違集)貞信公(ていしんこう)藤原忠平

 

城南宮〜嵐山サイクリングロード〜松尾大社〜天龍寺〜野宮神社〜二尊院〜愛宕念仏寺〜嵐山サイクリングロード

 

嵐山、嵯峨野

嵐山は平安貴族が紅葉狩り、船遊びに興じた景勝地でした。今も桜、鵜飼い、紅葉、雪景色と四季折々に楽しませてくれる風光明媚な風景が広がり古刹、名刹も多く嵐山、小倉山などを借景とした天龍寺庭園、二尊院、竹林に佇む野宮神社、祇王寺、奥嵯峨にある愛宕(おたぎ)念仏寺など、しっとり赴き深い嵯峨野は人気ある観光スポットです。一方、「源氏物語」、「平家物語」などの文学作品の舞台となった名所も点在し大堰川(桂川)上流の保津峡から渡月橋辺りにかけてはトロッコ列車、保津川下りを楽しめます。今回も昨年同様、嵐山サイクリングロードを走ったり離脱したりショートカットで往復しました。コラム中、作成の都合上、嵐山サイクリングロードサイロと省略している箇所もありますが、ご了承ください。

城南宮(方除、鬼門除の神)

城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来とされます。

Pちゃんズ、元気はつらつ〜?! (^_^)v 2007 初詣の参拝者で賑わっている城南宮
手水で禊ぎます・・・伏見名水「菊水若水」 参拝しまつた!☆⌒(*^∇゜)v
嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線)

嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。コラム中、作成の都合上、嵐山サイクリングロードサイロと省略している箇所もありますが、ご了承ください。

Pちゃんズの愛車、キララとラッキー2号 ゲッ!無っ茶、ガスってますがな!!鴨川@小枝橋 嵐山サイロと並行している桂川左岸堤防道
晴れてきまつた!ヽ(゜▽゜)ノ 久世橋の下へ・・・サイロに合流 間もなく新幹線を通過。。。
おやつタイム〜 σ(^◇^;) サイロを離脱して桂大橋(八条通り)を渡りまつ 桂離宮通過・・・@桂川右岸堤防道
阪急電車が通過していまつ・・・ 西大橋(五条通り)を通過・・・桂大橋からサイロを離脱したので桂川右岸をチャリチャリ。。。
嵐山サイクリングロードと合流 間もなく松尾橋・・・愛宕山が大きく見えてきまつた。。。@嵐山サイクリングロード  (@^▽^@)
松尾大社 出店と参拝者で賑やかな参道・・・なぜか?胸騒ぎが?!(爆) ( ̄▽ ̄;)!!
楼門 境内 大きな絵馬のイノシシさんとウリ坊?!(爆)
那須与一?(≧Σ≦)ぶっ  見事、樽に命中!!!賞品を頂きまつた〜@樽占い  (@^▽^@) やったね! 参拝者が長蛇の列 (@_@;)
参拝中・・・二礼二拍手一礼拝 嵐山へチャリチャリ 愛宕山と送り火の鳥居山(曼荼羅山)
亀山、小倉山、愛宕山@サイクリングロード 嵐山に到着! @嵐山サイロ起点地 (@^▽^@) 渡月橋
乱舞するユリカモメ えぇなぁ〜 (@^▽^@) 嵐電(京福電車)・嵐山駅の嵐山温泉(駅の足湯)
レトロ車両のモボ26型 駅の足湯から電車の発着が間近に見れるとです・・・
足だけを浸けるから足湯でつ!アシカラズ?(^◇^;) えぇ〜湯じゃった〜  (@^▽^@) 湯上りはグリンティーですな〜・・・くださいな〜
無茶ホットですがな!( ̄▽ ̄;)!!あっちっち〜(爆) ほっこり、はんなりスクエアー(京福嵐山駅) 天龍寺
世界文化遺産・天龍寺

世界文化遺産にも登録されている臨済宗天龍寺派の大本山です。後嵯峨天皇の亀山離宮を暦応2年(1339年)、足利尊氏が吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建した禅寺です。天龍寺造営資金に困窮し、天龍寺船による対元貿易での利益を造営資金に充てたと伝わります。創建以来650余年、その間に8度の兵火にかかり、殆ど古建築を見る事が出来ません。現在の諸堂は明治時代に再建されました。特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山、小倉山、亀山などの借景を見事に取り入れた回遊式庭園は独特の優美さがあります。

境内 庫裏(庫裡:くり) 大方丈(おおほうじょう)
法堂(はっとう) 勅使門 次は嵯峨野めぐり。。。
注連縄・・・正月じゃの〜σ(^◇^;) どもども 嵯峨野竹林道 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
野宮(ののみや)神社

伊勢神宮に仕える伊勢斎宮(さいぐう/いせのいつきのみや)が身を清める為に建立された神社で皇大神宮の奉仕に赴く前に長からぬ間、篭られた斎(いつき)の跡と伝え天照大神を祀る旧村社で縁結びの社です。伊勢斎宮は崇神天皇の御代、皇女・豊鋤入姫命(とよすきひめのみこと)に勅して天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀られ垂仁天皇の御代に倭姫命(やまとのみこと)が天照大神を奉じて諸国を巡り遂に伊勢の五十鈴川の畔に皇大神宮を営み仕えたのが起こりとされ歴代天皇は斎宮を置かれ後醍醐天皇の皇女・祥子内親王まで続いたが中世の兵乱によって根絶しました。斎宮は天皇即位の時、未婚の皇女、女王から選ばれ一に斎王と言います。今の野宮神社は何時の野宮か明らかではないが簡素な黒木の丸太組の鳥居、小柴垣は往時の野宮を偲ばせています。源氏物語の舞台にもなり恋の清算に訪れた源氏を忘れえぬ六条御息所の煩悶が描かれています

野宮神社・・・観光客や参拝者で賑わってますヾ(≧▽≦)ノ
洛西随一と言われる野宮じゅうたん苔 次は二尊院へ。。。 落柿舎 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
二尊院

小倉山と号し明治以降、天台宗延暦寺に属する寺院で正しくは、小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)といいます。寺名の由来は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によります。平安時代初期の承和年間(834〜847年)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して建立した華台寺跡と伝え、久しく荒廃していたのを鎌倉時代に法然上人の高弟・正信房湛空(たんくう)によって再興されました。湛空は土御門、後嵯峨二帝の戒師となり大いに堂宇を再建したが、応仁・文明の乱によって堂宇伽藍が全焼しましたが、その後、三条西家実隆父子の帰依により再興され、豊臣、徳川二氏も寺禄を寄せ寺運も栄えました。本堂の「二尊院」の勅額は後奈良天皇の宸筆ですが、初めの額は小野道風が書いたとも伝え、元、四脚門に揚げてあった。ところが、門前の池から夜な々一匹の霊蛇が現れ額の文字を舐めるのでこれを防ぐ為に額の傍に不動明王像を描かせたが効果がなく、正信上人という偉僧が蛇の執念を救わん為、自ら円頓戒の血脈を書いて池に沈めたところ、間もなく池中に千葉の城蓮花が一もと生じました。竜女成仏の印しで、この花を取り、寺の什宝にしたと伝えます。唐門前の池中にある弁財天社は、この竜女を祀ったものです。境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎(田村正和、亮の父)の墓所があります。紅葉の馬場と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ境内ま奥には、藤原定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭跡もあります。

二尊院(伏見城の薬医門) 境内案内図 紅葉の馬場といわれる参道
紅葉の馬場というだけに紅葉時は、さぞや美しかろう・・・えぇなぁ〜 (@^▽^@) 石仏と子石仏?! (^◇^;) なははは〜
八社宮(重文:室町期) 坂東妻三郎(田村正和、亮の父)墓所
本尊・発遣(ほっけん)の釈迦、来迎(らいごう)の阿弥陀立像(重文:鎌倉期)と法然上人足曳き(あしびき)の御影(重文:鎌倉期)

釈迦如来は、人が誕生し人生の旅路に出発する時に送り出してくださる仏で「発遣の釈迦」といわれ、阿弥陀如来は、人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎えくださる仏で、「来迎の阿弥陀」といいます。二尊は現世から来世への道を、示しているとも伝えます。傍らに「法然上人足曳きの御影」(重要文化財)を掲げます。

本堂(京都市指定文化財) 本尊・発遣の釈迦(右)、来迎の阿弥陀立像
茶室・御園亭 静寂で侘びな庭園・・・落ち着きますなぁ〜 (@^▽^@)
空飛ぶ駕籠? σ(^◇^;) おいおい 静寂で清浄な境内 扇塚
九頭龍弁財天 法然上人の弟子・湛空(たんくう)上人廟への石段・・・えっちら、おっちら (^◇^;)
湛空(たんくう)上人廟、名家墳墓

中興開山・湛空上人は土御門、後嵯峨両帝の戒師となり、建長5年(1253年)7月、当寺にて年78で入寂しました。墳上に立つ空公行状碑(鎌倉期)は、上人の経歴行状を漢文で刻したもので大宋国慶元府の梁成覚の撰文になります。名家墳墓・・・約1万uに亘る広地に幾段地となって散在しています。三条実万・実美父子、角倉了以、素庵父子、儒者・伊藤仁斎・東涯父子や後奈良・土御門・嵯峨三帝陵と伝える三石塔などがあります。

儒者・伊藤仁斎墓所 伊藤仁斎の子・東涯墓所 法然上人の高弟・湛空(たんくう)上人廟
藤原定家の時雨亭跡へ・・・ 藤原定家が百人一首を選定した時雨亭跡 嵯峨野の里俯瞰 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
比叡山遠望 えぇなぁ〜 (@^▽^@) 三条西家、三条実美墓所
鷹司家墓所 角倉了以墓所 三つ撞いて祈願するそうな・・・しあわせの鐘
一〜つ、ひとの生き血をすすり・・・( ̄▽ ̄;)!! 二〜つ、ふらちな悪行三昧・・・( ̄▽ ̄;)!!
三〜つ、みにくい浮世の鬼を退治てくれよう・・・Pちゃんズ?!(爆)おぬしは、桃太郎侍か!( ノ ̄∇ ̄)ノ えぇなバウア〜?!(爆) @唐門(勅使門)
静寂な境内・・・時代劇の撮影でお馴染みのロケーション 西行法師庵古跡
姫、ランチタイムでごじゃります〜 ヽ(゜▽、゜)ノ・・・どっこいしょ〜 (@^▽^@) 先付に茶団子&熱々のみたらし団子 (゜▽、゜)
姫所望のかやくそば・・・美味でごじゃります〜 わらわは満足したぞよ〜 (@^▽^@) 奥嵯峨の愛宕(おたぎ)念仏寺へ・・・
侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区)の上り坂も快調に愛宕(おたぎ)念仏寺へ。。。えぇなぁ〜 (@^▽^@)
上り坂を快調にチャリチャリ。。。(@^▽^@) 化野(あだしの)念仏寺通過・・・愛宕街道(町並み保全地区)の風情ある家並み
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

天台宗の古刹で奈良時代以前に東山の地に建立されました。平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正時代に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並んでいます。

一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本) 仁王門(愛宕念仏寺山門) 羅漢石仏めぐり・・・(@^▽^@)
シャガと千二百羅漢石仏 えぇなぁ〜 (@^▽^@) 境内
ふれ愛観音さま・・・とうとう背丈を抜きました! えぇなぁ〜 (@^▽^@)
ユニークな千二百羅漢石仏 千二百羅漢石仏と多宝塔
千二百羅漢石仏は一体々、表情が違いとってもユーモラス  えぇなぁ〜 (@^▽^@)
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 今年もやめられまへんな〜 先ずは一献 (^◇^;) 先代の西村公朝住職が彫られた釈迦石仏
千二百羅漢石仏 金色の虚空蔵菩薩像
千二百羅漢石仏 伝教大師像と千二百羅漢石仏
えぇなぁ〜 (@^▽^@)
本堂 変った鐘音の鐘(三宝の鐘:三鐘)を撞くPちゃん イナバウア〜な羅漢石仏?! (≧Σ≦)ぶっ
KAめDA?幻の右っすよ〜ってGUTSやし〜 (^◇^;) 千二百羅漢石仏&子羅漢石仏? σ(^◇^;)
鬼さん? 愛宕街道(町並み保全地区) えぇなぁ〜 (@^▽^@)
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 繭人形Only1!!!「まゆ村」
石段を上がると・・・まゆ村さん、本年もどうぞ宜しくです。 Pちゃん所望のウリ坊の竹色紙
彦麻呂が番組で作ったイノシシとウリ坊も所望 いつも、おいしいお茶と和菓子で歓待頂き、ありがとうございます! ほっこり&はんなり (@^▽^@)
まゆ村の美人おねーさんズ  (@^▽^@) 嵯峨野竹林道 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
嵐山をあとに。。。 遠くに比叡山 畑の中をチャリチャリ・・・@嵐山サイクリングロード
間もなく阪急電車を通過@桂川右岸堤防道 桂大橋を渡って桂川左岸堤防道へ。。。 日が暮れてきまつた・・・走れ!メロス?! (^◇^;)
間もなく名神高速道路を通過・・・@サイロ 下鳥羽に入りました・・・@サイクリングロード 初のナイトランで無事、帰還しまつた!(^_^)v

Tourist  2007.01.03(Wed)

 

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