Pちゃんズの伏見五福めぐり(2008年:子)

 

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)  (万葉集)大伴家持

 

伏見五福(五利益)めぐり

伏見には古来、庶民に深く信仰されている神社が散在しています。元旦〜15日まで、その代表的な5社寺の初詣を兼ねて参拝する『伏見五福めぐり』が行われます。長建寺(商売繁盛) 藤森神社(勝運・学問) 大黒寺(出世・開運) 乃木神社(学門・勝運) 御香宮神社(開運・厄除)の五社寺で各朱印料300円(色紙授与の場合は1,000円) めぐる順番は自由で歩くと2〜3時間で周れると思います。ちなみに、伏見七福神めぐりは別名を『洛南七福神めぐり』とも称され、大正時代には隆盛を極めましたが、残念ながら昭和32年(1957年)頃に廃絶し、法性寺(毘沙門天)も廃寺となったと伝えます。

西岸寺(油懸地蔵尊)

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。

西岸寺(油掛地蔵尊) 松尾芭蕉の句碑 建設中の本堂
油掛地蔵尊 龍馬ゆかりの旅籠・寺田屋

伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

酒蔵 長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) 伏見五福めぐりのポスター
境内 伏見名水「閼伽水」 参拝しました (#^.^#)

かって伏見七福神の一だった金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます

十石舟弁天橋乗船場 酒蔵 金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
天然記念物「クロガネモチ/伏見区民の木」 参拝しました・・・ (#^.^#) 大黒寺(大黒天/開運・出世の神)

伏見五福の一・大黒寺(大黒天/開運・出世の神)

創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。

伏見名水「金運清水 薩摩九烈士の墓と西郷隆盛筆の墓碑(右手前) 平田靱負(ゆきえ)の墓所
おさすり大黒さん (#^.^#) 本堂 秘仏・大黒天を今の時期だけ御開帳
朱印くださいな〜 (#^.^#) 次は・・・藤森神社へ おけいはん

伏見五福の一・藤森神社(勝運・学問の神)

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました

京阪・丹波橋駅 近鉄・丹波橋駅 藤森神社(勝運の神)
境内へ・・・ 初詣の参拝者が長蛇の列ですぅ〜 ( ̄▽ ̄;)!!
朱印くださいな〜 (#^.^#) 次は・・・御香宮へ 御香宮(開運、安産、厄除けの神)

伏見五福の一・御香宮(開運・安産・厄除けの神)

縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です

御香宮(開運、安産、厄除けの神) 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 日本名水百選の一・御香水
参拝しました・・・ (#^.^#) 朱印くださいな〜 (#^.^#)

伏見五福の一・乃木神社(勝運・勉学の神)

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています

桃山御陵参道 次は・・・乃木神社へ 乃木神社(勝運、勉学の神)
乃木希典(まれすけ) 境内 拝殿
山城えびす神社 解説 朱印くださいな〜 (#^.^#)
今年も五福めぐりの朱印が満願になりました!可愛いネズミさんの土鈴も頂きました〜!!! (@^▽^@) 温まりますぅ〜(#^.^#)
早速、ご利益?!\(◎o◎)/!今年も・・・ペコポコですがな?!(≧Σ≦)ぶっ Just timing!!! 時は今っ!!!ヽ(^o^)丿ハミングバード

Tourist  2008.01.01(Tue)

 

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