除夜の鐘@妙福寺 |
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毎年、お誘いくださる近くの妙福寺さん・・・色々あった2006年でしたが、感謝の気持ちを込めて除夜の鐘を撞きました。。。 |
西岸寺(油懸地蔵尊)
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昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。
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お友達に遭遇!
(#^.^#)西岸寺(油掛地蔵尊) |
油掛地蔵尊 |
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松尾芭蕉の句碑 |
坂本龍馬ゆかりの旅籠・寺田屋 おっとお龍さん?。。。(^O^; |
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
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真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます。
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酒蔵 |
長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
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伏見五福めぐりのポスター |
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伏見名水「閼伽水」 |
朱印と色紙をいただきました・・・
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十石舟弁天橋乗船場 |
伏見五福の一・大黒寺(大黒天/開運・出世の神)
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創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。
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酒蔵 |
大黒寺 |
おさすり大黒さん
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伏見名水「金運清水」 |
大黒寺(大黒天/開運・出世の神)・・・秘仏・大黒天を今の時期だけ御開帳 |
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朱印くださいな〜
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金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
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天然記念物「クロガネモチ/伏見区民の木」 |
かって伏見七福神の一だった金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
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縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます。
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参拝中・・・
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近鉄・丹波橋駅 |
藤森神社(勝運の神)
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伏見五福の一・藤森神社(勝運・学問の神)
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神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました。
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初詣の参拝者が長蛇の列ですな〜
( ̄▽ ̄;)!! |
朱印くださいな〜
(#^.^#) |
伏見五福の一・御香宮(開運・安産・厄除けの神)
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縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。
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次は御香宮へ・・・ |
御香宮(開運、安産、厄除けの神)
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ここも初詣の参拝者が長蛇の列ですな〜
( ̄▽ ̄;)!! |
朱印くださいな〜
(#^.^#) |
桃山天満宮
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菅原道真を祭神とする旧村社で天安2年(1445年)桃山の中腹にあった竜播山(りゅうばんざん)蔵光庵の鎮守社であったが、伏見城築城時、寺は嵯峨臨川(りんせん)寺の東に移り神社は、前田家の屋敷内に祀られました。伏見城の破却に伴い前田家も取り払いとなりましたが、神社のみ残りました。俗に「山の天神」といわれ久しく旧地にありましたが、天保12年(1841年)近鉄桃山御陵前駅の東(観音寺南側)に移転、後の昭和44年(1969年)11月、現在の御香宮境内に遷座されました。
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神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 |
桃山天満宮・・もっと賢くなりますように・・私が?!(^^ゞ |
芭蕉、去来の句碑 |
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参拝中・・・
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JR桃山駅 |
乃木神社(勝運、勉学の神)
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伏見五福の一・乃木神社(勝運・勉学の神)
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陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています。
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装甲巡洋艦「吾妻」主錨と日露戦争慰霊碑 |
中国の柳樹房から移築された日露戦争での日本軍第三軍司令部 |
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日本軍第三軍司令部の展示品の数々 |
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境内 |
乃木希典が少年時代に住んでいた家 |
どっこいしょ〜っと。。。(^O^; |
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えびす神 |
拝殿 |
朱印くださいな〜
(#^.^#) |
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五福めぐりの朱印が満願になりまつた!可愛いイノシシさんの土鈴も頂きました〜!!!
(@^▽^@) |
早速、ご利益?!ペコポコですがな?!(≧Σ≦)ぶっ |
Tourist
2007.01.01(M) |