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橿原神宮参道 |
畝傍山(うねびやま)へ |
大和三山・畝傍山説明書き |
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山頂へテチテチ・・・ |
畝傍山口神社跡 |
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礎石 |
三等三角点(点名:畝傍山
199.2m) |
大津皇子の悲話を今に伝える二上山(にじょうざん) |
雄岳(517m)と雌岳(472.2m)が並ぶように聳える美しい山を二上山と呼び金剛生駒国定公園に指定されています。雄岳の山頂に天武天皇の皇子だった大津皇子が眠っています。大津皇子は男らしい容貌で大人物の器、文武にも優れ、いずれは皇位に就くと目されましたが、天武帝の没後、皇位継承争いによって義母の皇太后(天武帝皇后で後の持統天皇)と子・草壁皇子らによって謀反の疑いをかけられて処刑され、24年の若き生涯を閉じました。しかし、皇太后の悲願空しく、3年後に病弱な草壁皇子も皇位に就く事なく他界、翌年の690年、皇太后は即位(持統天皇)しました。草壁皇子の死は大津皇子の祟りと恐れた持統天皇は、即座に大津皇子の墓を二上山に移し葬ったと伝えます。・・・伊勢神宮の斎王(いつきのみこ)として仕える姉・大伯皇女(おおくのひめみこ)は「我が背子を
大和へ遣ると 小夜更けて あかとき露に
わが立ち濡れし・・・私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露に濡れてしまいました。」と別離の哀愁を詠みました。後に、二上山に大津皇子が移葬された時、「うつそみの
人なる我や 明日よりは 二上山を
弟背(いろせ)と我(あ)が見む・・・現世に留まる人である私は、明日から、二上山を我が弟として見る事にします。」と詠みました。・・・因みに大津皇子は天武帝皇后・鸕
野(うの)の姉・大田皇女と天武帝の間に大伯皇女(おおくのひめみこ)の弟として生まれましたが、病弱な母・大田は幼い姉弟を残して早くに病死しました。大田皇女、鸕
野(うの)姉妹は天智天皇の皇女と伝えます。 |
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金剛山、葛城山の稜線
o(>w<)〇゛ |
大津皇子が眠る二上山(雄岳
517m:右端) |
大和三山・耳成山(みみなしやま) |
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岩肌がむき出しで急峻な下山道。。。( ̄▽ ̄;)!! |
畝傍山を下山・・・ |
旧日本海軍の軍艦の錨だとか・・・ |
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左は空母・翔鶴のマスト?と「空母・翔鶴の碑」、右はゼロ戦と「甲種飛行学生の碑」@若桜友苑 |
旧日本海軍の戦闘機や特殊潜航艇絵図鑑 |
神武天皇畝傍山東北陵(じんむてんのう
うねびやまのうしとらのすみのみささぎ) |
「日本書紀」によると、初代天皇・神武天皇は、日向(宮崎県)地方〜瀬戸内海を東進し、難波(大阪府)に上陸しましたが、生駒の豪族・長髄彦(ながすねひこ)に阻まれて、熊野へ南下しました。八咫鳥(やたがらす)というカラスに導かれて吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺勢力をしたがえて、宿敵の長髄彦を討伐して大和地方を平定しました。神武暦660年1月1日(太陽暦:2月11日
建国記念日)、橿原宮で初代天皇に即位したと伝えます。神代と人代を結ぶ存在といわれる神武天皇ですが、その御陵は長い間、不明でした。江戸期後半の文久3年(1863年)にようやく確定されたと伝えます。畝傍山北東麓にある御陵は、正しくは畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)と言います。周囲は約100m、高さ5.5mの八稜円形で、広い植え込みがあり、幅約16mの周濠を廻らせています。 |
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初代天皇・神武天皇が祀られている神武天皇畝傍山東北陵(じんむてんのう
うねびやまのうしとらのすみのみささぎ) |
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神武天皇畝傍山東北陵 |
大和ワラシベ軍団がいませんがな?!( ̄▽ ̄;)!! |
飛鳥(あすか)川 |
特別史跡・藤原宮跡 |
大和三山のほぼ中央に、持統8年(694年)、日本初の本格的な都市として遷都したのが藤原京でした。天武天皇が計画し、皇后の持統天皇が完成させ持統、文武、元明天皇の三代に亘る宮跡で中国の都を模して街路が碁盤の目状に区割りされました。最近の調査研究で都の範囲が東西約5.3km、南北約4.8kmの広域で平城京を凌ぐ規模だった事が判明しました。その中心である藤原宮には、内裏(だいり)や、国家儀式の場である大極殿(だいごくでん)などがあり、広大な宮跡は特別史跡として保存されてます。宮跡からは北に耳成山(みみなしやま)、東に香久山(かぐやま)、西に畝傍山(うねびやま)の大和三山が望めます。 |
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広大な藤原宮跡 |
朱雀大路跡、朱雀門跡 |
大極殿方面@朱雀門跡 |
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万葉の歌碑 |
大和ワラシベ軍団じゃ〜
寝てますがな!( ̄▽ ̄;)!! |
朱雀大路?(≧Σ≦)プッ
大極殿跡へテチテチ・・・ |
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藤原宮説明書き |
えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
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お〜
大和花さくや姫ちゃんズの襲来じゃ〜。。。(;^◇^ゞ |
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秋のたそがれの大和三山(左から畝傍山、耳成山、天香具山)・・・えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
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お〜
大和おいで(穂まねき)軍団の襲来じゃ〜。。。(;^◇^ゞ |
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朝堂院、大極殿跡 |
藤原宮大極殿跡の解説 |
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天香具山〜朝堂院跡、朱雀大路〜畝傍山(うねびやま)
@大極殿跡・・・えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
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藤原宮大極殿跡 |
藤原宮を後に。。。 |
渡り鳥が飛来する醍醐池と耳成(みみなし)山 |
おふさ観音(観音寺) |
正しくは、観音寺と号する高野山真言宗別格本山です。弘法大師を宗祖とする宗旨で、おふさ観音という通称名は、江戸時代に土地の娘「おふさ」が、この地で観音様を奉り始めたのが後にお寺に発展した事に由来します。本尊は十一面観音で、元来、身体健康を授けて下さると伝え、近年は開運厄除け、子授け、ボケ封じなど様々な願掛けの祈祷所で、大和ぼけ封じ霊場会、大和七福神霊場会、
大和十三仏霊場会の札所です。 |
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おふさ観音へ・・・ |
おふさ観音(観音寺)は「花まんだらのお寺」、「イングリッシュローズのお寺」と呼ばれます。。。 |
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鉢植え、地植えされた約1,000種類(約1,500株)のバラとハーブで境内が埋まります・・・ |
バラとハーブの駒札 |
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スッポンもいるそうな
(@_@;)・・・亀の池 |
池泉回遊式庭園の円空庭 |
仏足石 |
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イングリッシュローズに囲まれる本堂・・・合掌 |
時間の都合で。。。近鉄・大和八木駅へ |
JR桜井線・畝傍(うねび)駅 |
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近鉄・大和八木駅 |
京都行き急行 |
桃山御陵前駅 |
Tourist
2006.11.06(M) |