草津の湊、魚市場跡碑 |
草津の湊・・・下鳥羽は、古くは草津と言い木津、今津とも言われ船で西国に赴く人達の乗船地で道路交通上重要な遺跡地です。延喜元年(901年)、太宰府へ流された菅原道真、「平家物語」によれば保元元年(1156年)、讃岐国(香川県)へ流された崇徳上皇、治承4年(1180年)、厳島神社へ行幸の高倉天皇、建永2年(1207年)、法然上人が讃岐国へ流された時も当地より乗船したと伝わります。又、瀬戸内海の鮮魚などが陸揚げされ都に運ばれた水路、陸路交通の中継地として重要だった河川港でした。魚市場跡碑・・・明治10年(1877年)まで、生魚市場として賑わった横大路魚市場の記念碑で大正8年(1919年)4月、大橋家が的場正三郎の撰文により建立されたものです。現在の碑は台風で倒壊した原碑を復元し昭和60年(1985年)に新たに建立されました。 |
|
|
|
草津の湊(桂川、鴨川合流点) |
魚市場跡碑 |
一文橋(いちもんばし)、与市兵衛の墓
|
一文橋・・・説明碑によれば、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。与市兵衛の墓・・・江戸時代に作られた人形浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵:五段目・山崎街道の場」で世に知られる赤穂浪士・萱野三平の養父・与市兵衛は娘・おかるを祇園町に売り郷里(摂津国池田萱野村)に帰らんとし当地にさしかかった時に定九郎なる浪人によって横死を遂げたと言われ、後世その死を悼んで供養塔として当地に建立されたものと伝えます。歌舞伎芝居の遺蹟地の一です。 |
|
|
|
小畑川に架かる一文橋 |
西国街道をチャリチャリ・・・暑うぅ〜
( ̄口 ̄;)!! |
仮名手本忠臣蔵の遺跡地・与市兵衛の墓 |
|
|
|
解説 |
気温36℃の中、西国街道をチャリチャリ。。。暑うぅ〜、暑うぅぅ〜、どんだけぇ〜
(@_@;) |
|
|
|
善峰、柳谷道標 |
小倉神社参道を一気に上って行きまつ。。。停まると風を受けなくなり暑うぅぅ〜?!
( ̄口 ̄;)!! |
小倉神社 |
延喜式内社で乙訓地方で最古社の一とされ、大山崎町(円明寺)の産土神で祭神は建甕槌命(たけみかづちのみこと)他、三神を祀ります。背後の竹林に鳥居前古墳という4世紀末期に築かれた前方後円墳があり、その被葬者が後に神格化されたとも考えられています。社伝によれば奈良時代の元正天皇の養老2年(718年)に創建。桓武天皇の平安遷都(794年)に際して御所の鬼門除けとして祈願され、
延喜の制により式内名神大社に列せられ、平安遷都後、皇室の崇敬が篤く、文徳天皇の嘉祥3年(850年)、神階最高位を賜って以来、「正一位小倉大明神」と号しましたが、度々の火災により記録を焼失し社歴は明らかでありません。神社には宮座が多くありますが、宮座毎に行う直会
(なおらい:神事が終わった後、神酒、神饌を頂く酒宴)については、茎座(くきざ)、餅座などと称する独特なものがあったと伝え、天正10年(1582年)、明智光秀との天下分け目の「天王山合戦」の時、羽柴(豊臣)秀吉は片桐且元を遣わし戦勝祈願をしたとも伝えます。 |
|
|
|
小倉神社 |
一の鳥居 |
涼風が心地よい参道
(*^。^*) |
|
|
|
手水
汗を拭います。。。)^Q^( |
天王山登山道 |
境内 |
|
|
|
十二支石像 |
ご神水・・・名水でつ!
)^Q^( |
割り拝殿 |
|
|
|
本殿 |
京都市内方面の眺め
o)^Q^(o @お茶屋ノ池 |
円明教寺、お茶屋ノ池 |
円明教寺・・・天王山の北麓にあって俗に山寺と言われますが正しくは医王山と号する真言宗東寺派の寺で元は円明寺と言ったが明治以降今の寺号に改めました。寺伝によると当寺は九条道家の再建と伝え道家の子・実経(さねつね)は傍らに山荘を構え隠栖しました。往時の規模は明らかにしないが今尚、付近に薬師前、仏生田、大門脇などの地名が残ります。お茶屋ノ池・・・門前近くにあるお茶屋ノ池は、「九条池」とも言われ当時の苑園池の一部と伝えます。
|
|
|
|
「九条池」とも言われ当時の苑園池の一部と伝えるお茶屋ノ池 |
円明教寺 |
|
|
|
解説 |
本堂 |
観音寺(山崎聖天) |
|
|
|
伏見方面 |
八幡方面 |
京都市内 |
|
|
|
男山方面 |
SUNTORY京都ビール工場 |
桂川@淀
宮前橋 |
|
|
|
常念寺 |
桂川右岸堤防道
日陰がなく。。。暑う〜、暑うぅぅ〜、暑いですうぅぅ〜
( ̄口 ̄;)!! |
羽束師(はづかし)神社 |
旧羽束師村の産土神で志水、古川、樋爪、菱川地域を氏子とします。創建は、すこぶる古く大宝元年(701年)以前からの鎮座と云われています。羽束師は、羽束首(はづかしのおびと)の居住地で一族は、土器を作り石灰を焼いたりする泥部(はつかしべ)の伴造家であった。羽束氏の祖神を祀った神社と言われています。羽束師は元、乙訓郡に属し古くは羽束師郷とも言いました。 |
|
|
|
羽束師神社 |
羽束師川、丹波道、善峯、向日町道標 |
拝殿 |
|
|
|
本殿 |
八幡、天王山方面 |
伏見百景で知られる酒蔵 |
Tourist
2007.8.6(M) |