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えぇなぁ〜
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風情ある落柿舎 |
二尊院(総門は伏見城遺構:薬医門) |
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侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区)を奥嵯峨へ |
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化野(あだしの)念仏寺通過・・・ |
えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら) |
醍醐天皇の延喜年間、千観阿闍梨の開創する等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺派の古刹で当初は奈良時代以前、東山の地に七堂伽藍を備える御願寺として建立されました。平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正11年(1922年)に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並び建築、仏像に見るべきものを有します。
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一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本) |
こんにちワン?!
(^◇^ゞ 犬夜叉さん??(爆) |
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仁王門(愛宕念仏寺山門) |
シャガが咲き乱れる中を羅漢石仏めぐり・・・(@^▽^@) |
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シャガと石仏・・・えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
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シャガの花 |
地蔵堂(あたご本地仏火除地蔵尊) |
リーゼントスタイルの石仏ハマの番長?!(爆) |
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心が和むユーモラスな千二百羅漢石仏
えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
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表情豊かでユーモラスに喜怒哀楽を表す千二百羅漢石像 |
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一体、一体表情が違う千二百羅漢石仏 |
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えぇなぁ〜
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伝教大師像、先代が彫られた釈迦石仏 |
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三面石仏 |
どもども
(^◇^ゞ |
ふれあい観音さま |
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平安時代から厄除け観音として信仰される本尊・千手観音を祀る本堂(重要文化財:鎌倉期) |
苔むした石仏 |
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こんな石仏も・・・か○た???(爆) |
様々な表情の千二百羅漢石仏 |
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清滝トンネル(愛宕鉄道遺構)、試峠 |
愛宕鉄道架線柱跡 |
清滝街道(愛宕鉄道跡) |
清涼寺 |
清涼寺は五台山清涼寺と号し嵯峨野でも有数の古刹で源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)所縁の寺です。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、人々に崇拝されています。左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)を源融没後、寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号し天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えてその麓に大清涼字寺を建立しようと考えましたが長和5年(1016年)「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛し軒を貸した棲霞寺は衰徴し今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊の釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。 |
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奥嵯峨の風情@愛宕街道(町並み保全地区) |
清涼寺(嵯峨釈迦堂) |
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清涼な境内 |
弥勒多宝石仏 |
光源氏のモデル・源融(みなもとのとおる)墓 |
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季節の移ろいは、花の移ろいでもあり桜からツツジへ・・・ |
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花萌ゆる・・・ツツジも、えぇなぁ〜
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新緑が清々しい |
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夕霧の歌碑(吉井
勇) |
阿弥陀堂 |
四面石仏手水石 |
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薬師堂(生の六道:小野篁遺蹟) |
大坂の陣戦没者供養碑(左)、豊臣秀頼公首塚 |
隠元筆「栴壇瑞像」の大額が架かる本堂 |
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多宝塔! |
嵯峨豆腐、飛龍頭をゲット |
お待たせ!キララちゃん!!
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JR嵯峨野線(山陰本線) |
嵯峨野トロッコ列車・嵯峨駅 |
蒸気機関車(D51) |
車折神社(くるまざきじんじゃ) |