秋の嵐山、嵯峨野路めぐり

 

柿ぬしや 木ずゑは近き あらしやま 向井去来

 

城南宮〜足湯〜世界文化遺産・天龍寺〜野宮(ののみや)神社〜常寂光寺〜落柿舎〜二尊院〜壇林寺〜愛宕念仏寺〜清涼寺

嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線)

嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。コラム中、作成の都合上、嵐山サイクリングロードサイロと省略している箇所もありますが、ご了承ください。

どもっ、お久のPちゃんズでつ!!!(*^。^*) 酒蔵@濠川 新(東)高瀬川右岸堤防をチャリチャリ・・・
城南宮(方除、鬼門除の神)

城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来とされます。

城南宮 熊野古道めぐりの麗しき女御行列(^_-)-☆ 二の鳥居
城南宮境内 伏見名水「菊水若水」 鳥羽・伏見の戦いゆかりの小枝橋
鴨の流れ 桂川左岸堤防道をチャリチャリ・・・ ※ 久世橋手前を堤防下(嵐山サイロ)へ・・・
飛ばしますなぁ〜\(◎o◎)/!どんだけ〜 東海道新幹線、東海道本線通過・・・ 堤外人道橋(天神川)を渡ります。。。
ハーフタイム?! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! ※ 桂大橋(八条通り)手前を堤防下へ 阪急・京都線通過・・・
前方に西大橋(五条通り) ※ 西大橋(五条通り:R9号線)を渡ります。。。 嵐山サイロを離脱して桂川右岸堤防道へ
ピーカン照りでなく助かります! 愛宕山が近づいてきました・・・ 飛ばしますなぁ〜\(◎o◎)/!どんだけ〜
松尾橋に接近・・・ 松尾大社 可憐なバーベナ(クマツヅラ科) (*^。^*)
嵐山サイクリングロードに進入 とばしますなぁ〜\(◎o◎)/!どんだけ〜 1時間少々で嵐山到着! @嵐山サイロ起点地
亀山、小倉山、愛宕山の稜線 嵐山・中ノ島公園 はい、ポーズ!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
え〜っと、・・・早速、茶店で休憩で・す・か! (*^。^*) ハーフタイム?! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! 月が渡るの如く・・・渡月橋
渡月橋を渡ります・・・ ワオッ!!!\(◎o◎)/!お幸せに!! (*^_^*) 平家物語ゆかりの琴きき橋跡
Pちゃんズ機動部隊のキララ&ラッキーU この暑さの中、足湯を所望され・・・あの〜気温30℃超えてますけど?そんなの関係ねぇ〜(爆
こんなアングルで撮ってみました・・・(^^ゞはは こんなに空いてる足湯は初めて?!気温30℃↑
この暑さの中、足湯は最高で〜す!?空いていて ゆっくり浸かれて・・・汗が出ます! 涙も出るほどに・・・温まります?! ははは・・・(T_T) 泣いとるがな!!!
世界文化遺産・天龍寺

世界文化遺産にも登録されている臨済宗天龍寺派の大本山です。後嵯峨天皇の亀山離宮を暦応2年(1339年)、足利尊氏が吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建した禅寺です。天龍寺造営資金に困窮し、天龍寺船による対元貿易での利益を造営資金に充てたと伝わります。創建以来650余年、その間に8度の兵火にかかり、殆ど古建築を見る事が出来ません。現在の諸堂は明治時代に再建されました。特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山、小倉山、亀山などの借景を見事に取り入れた回遊式庭園は独特の優美さがあります。

温まった後は、そうめん定食! (*^。^*) 世界文化遺産・天龍寺 え〜っと、スネかじられました! (>_<)
源氏物語『賢木の巻』ゆかりの野宮(ののみや)神社

伊勢神宮に仕える伊勢斎宮(さいぐう/いせのいつきのみや)が身を清める為に建立された神社で皇大神宮の奉仕に赴く前に長からぬ間、篭られた斎(いつき)の跡と伝え天照大神を祀る旧村社で縁結びの社です。伊勢斎宮は崇神天皇の御代、皇女・豊鋤入姫命(とよすきひめのみこと)に勅して天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀られ垂仁天皇の御代に倭姫命(やまとのみこと)が天照大神を奉じて諸国を巡り遂に伊勢の五十鈴川の畔に皇大神宮を営み仕えたのが起こりとされ歴代天皇は斎宮を置かれ後醍醐天皇の皇女・祥子内親王まで続いたが中世の兵乱によって根絶しました。斎宮は天皇即位の時、未婚の皇女、女王から選ばれ一に斎王と言います。今の野宮神社は何時の野宮か明らかではないが簡素な黒木の丸太組の鳥居、小柴垣は往時の野宮を偲ばせています。源氏物語「賢木の巻」の舞台にもなり恋の清算に訪れた源氏を忘れえぬ六条御息所の煩悶が描かれています。

嵯峨野竹林道 源氏物語ゆかりの野宮神社 黒木鳥居の解説
野宮神社解説 歌碑 嵐山を表した野宮絨毯苔
社殿 参拝しました・・・(#^.^#) 嵯峨野竹林道
嵯峨野竹林道は風も心地よく風情ある別空間・・・いつ来ても えぇなぁ〜 (#^.^#)
竹のトンネル (#^.^#) 大河内山荘 小倉池
常寂光寺(じょうじゃっこうじ)

常寂光寺・・・小倉山と号し日蓮宗本圀寺派の寺で寛永年間に本圀寺の日槇上人の退穏所を寺に改めたもので天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから寺名となりました。茅葺きの仁王門には運慶作と伝える仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財:桃山期)は、天和年間の建築ながら華麗な桃山様式を伝えています。豊臣秀吉、小早川秀秋との所縁も深く、仁王門は本圀寺の南北朝時代のものです。藤原定家が小倉山百人一首を編集した場所の時雨亭趾もあります。特に仁王門〜本堂迄の石段脇の紅葉は見事で嵯峨野屈指の紅葉の名所とされます。

えぇなぁ〜 (#^.^# 常寂光寺 えぇなぁ〜 (#^.^#)
落柿舎(らくししゃ)

落柿舎・・・ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の十哲(弟子)の一である向井去来(むかいきょらい)の閑居地で洛東・聖護院村に住んでいましたが元禄初期に嵯峨に古屋を買い求め隠居所としました。邸内に柿の木があり去来が商人に柿の実を売る約束をしたが、一夜のうちに風で全て落ちてしまい買約中の商人が驚き破談にした事から落柿舎と名付けたとされます。松尾芭蕉は元禄4年(1691年)4月18日に去来を訪ねて5月5日までの17日間滞在しその間に名所古跡を訪ね随想を書き留めたのが世にも有名な「嵯峨日記」です。落柿舎は去来の没後に荒廃しましたが明治になって有志の人達によって再興され舎中の庭からの嵐山、嵯峨野を望んで景観は良く俳望の隠棲に相応しい庵です。

落柿舎 主(去来)の在宅を表す・・・笠と蓑
土間 玄関 本庵の室内
芭蕉門下十哲の一・Pちゃん? (^^ゞ爆 本庵の室内 まさに落柿舎!!! o(*^▽^*)oあはっ♪
本庵 次庵 有智子内親王(うちこないしんのう)陵
俳人・向井去来塚(遺髪埋葬地) 駒札 歌碑
二尊院

小倉山と号し明治以降、天台宗延暦寺に属する寺院で正しくは、小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)といいます。寺名の由来は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によります。平安時代初期の承和年間(834〜847年)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して建立した華台寺跡と伝え、久しく荒廃していたのを鎌倉時代に法然上人の高弟・正信房湛空(たんくう)によって再興されました。湛空は土御門、後嵯峨二帝の戒師となり大いに堂宇を再建したが、応仁・文明の乱によって堂宇伽藍が全焼しましたが、その後、三条西家実隆父子の帰依により再興され、豊臣、徳川二氏も寺禄を寄せ寺運も栄えました。本堂の「二尊院」の勅額は後奈良天皇の宸筆ですが、初めの額は小野道風が書いたとも伝え、元、四脚門に揚げてあった。ところが、門前の池から夜な々一匹の霊蛇が現れ額の文字を舐めるのでこれを防ぐ為に額の傍に不動明王像を描かせたが効果がなく、正信上人という偉僧が蛇の執念を救わん為、自ら円頓戒の血脈を書いて池に沈めたところ、間もなく池中に千葉の城蓮花が一もと生じました。竜女成仏の印しで、この花を取り、寺の什宝にしたと伝えます。唐門前の池中にある弁財天社は、この竜女を祀ったものです。境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎(田村正和、亮の父)の墓所があります。紅葉の馬場と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ境内ま奥には、藤原定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭跡もあります。

西行井戸 二尊院(伏見城の薬医門) 壇林寺
壇林寺

平安時代初期の承和年間(834〜848年)に嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(壇林皇后)が建立した尼寺で皇后の没後、官寺とされました。創建の際、唐の義空和尚を師として日本最初の禅門寺となった。創建当時の壇林寺は、野々宮神社の東、天龍寺の北(右京区嵯峨天竜寺立石町)にありました。広大な敷地で十二坊を数えたと伝え、平安初期の仏教と文化の一中心地でしたが、平安時代中期に荒廃しました。往時を偲んで昭和39年(1964)、現在の地に再建されました

壇林寺解説 悪夢を食べて良夢に変えてくれるバクだとか・・・ぞう(どう)見ても象さんに見えますけど (^^ゞ爆?
「蓮華精舎」の扁額 境内 八角形灯篭
宝蔵造りの三層楼屋根本堂と霊宝館 御所を向いている本堂頂峰の瑞鳥(鶴) 壇林皇后供養塔
モリアオガエルが棲息している瓢箪池 風情ある愛宕街道を奥嵯峨へ・・・えぇなぁ〜(#^.^#) 
奥嵯峨の鳥居本は四季折々でいつ訪ねても・・・えぇなぁ〜(#^.^#) ビューティフル!!!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

醍醐天皇の延喜年間、千観阿闍梨の開創する等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺派の古刹で当初は奈良時代以前、東山の地に七堂伽藍を備える御願寺として建立されました。平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正11年(1922年)に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並び建築、仏像に見るべきものを有します。

愛宕念仏寺 羅漢石仏めぐり・・・えぇなぁ〜 (@^▽^@)
心が和むユーモラスな千二百羅漢石仏 えぇなぁ〜 (@^▽^@) ふれ愛観音は、Pちゃん背比べ観音 (#^.^#)
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 千二百羅漢石仏と伝教大師立像と多宝塔 先代住職作の釈迦石仏と子石仏? (^◇^;)
表情豊かでユーモラスに喜怒哀楽を表す千二百羅漢石像 虚空蔵菩薩像と子石仏? (^◇^;)
千二百羅漢石仏と多宝塔 どんだけ〜\(◎o◎)/!かな?(爆 シュワッチ?! (・_・)☆ヾ(^^ ) ウルトラマンか?!
一心同体 風情が漂う境内 三宝の鐘(三鐘)を撞く! (@^▽^@)
一体だけカラーバージョンの石仏が?(爆 清滝隧道(トンネル)と試峠道(右) あだし野・まゆ村へ・・・鳥居本通過・・・
奥嵯峨の風情を満喫できる愛宕街道・・・心が和むとです・・・えぇなぁ〜(#^.^#)
Pちゃんお気に入りの繭人形Only1!!!「まゆ村」 いつも歓待して頂き、ありがとうございます! (*^。^*) 繭人形始め、絹てまり、モビールetc
清涼寺

清涼寺は五台山清涼寺と号し嵯峨野でも有数の古刹で源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)所縁の寺です。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、人々に崇拝されています。左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)を源融没後、寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号し天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えてその麓に大清涼字寺を建立しようと考えましたが長和5年(1016年)「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛し軒を貸した棲霞寺は衰徴し今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊の釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。

ほっこり&はんなり 心が和むとです! (@^▽^@) 嵯峨の釈迦堂と呼ばれる清涼寺 嵯峨野豆腐、飛龍頭をゲット! (*^。^*)
渡月橋へ・・・ 桂川と比叡山遠望@渡月橋 自転車は担ぐもの? (^^ゞはは
嵐山サイクリングロードへ進入・・・ 愛宕山 比叡山
阪急・京都線通過・・・ 混んでますぅ〜\(◎o◎)/!どんだけ〜
キララ&ラッキーUも順番待ち? (^^ゞはは 順番待ちの図?暑うぅ〜\(◎o◎)/! 店内の座敷
宇治ミルク氷(白玉入り)と冷しあめ (^^♪ 北極から赤道? 暑うぅ〜\(◎o◎)/!

間もなく・・・久世橋

おぉ〜飛ばしますなぁ〜\(◎o◎)/!どんだけ〜

伏見百景で知られる酒蔵@新(東)高瀬川

Tourist  2007.09.17(M)

 ※ 嵐山サイクリングロードで迷い易いポイントは太字の赤色で示しています。参考に頂ければ幸いです。(*^-^*)

 

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