平家西八条殿跡迷宮案内

 

萌出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき 祇王

 

城南宮〜世界文化遺産・東寺(救王護国寺:左寺)〜六孫王(ろくそんのう)神社〜梅小路公園(平家西八条殿跡)〜若一(にゃくいち)神社

 

清盛平家一門の西八条殿跡

北は八条坊門小路(現、木津屋橋通りと梅小路通りの中間辺り)〜南は八条大路(現、八条通り)、東は大宮大路(現、大宮通り)〜西は坊城小路(現、坊城通り)に至る東西三町、南北二町と云われ、現在の梅小路公園〜南のJR京都線(東海道本線)の敷地(六町歩(720m四方=約518,400u)にあたります。西八条殿は、平清盛の屋敷で邸内には大小の邸館50余があった。特に清盛は蓬(よもぎ)を愛し、壺の邸内に蓬を植えて蓬壺と称しました。養和元年(1181年)閏2月4日、清盛は熱病を患って亡くなりましたが、七日葬送の夜に蓬壺から火を発し屋敷を焼失しました。間もなく再興されましたが寿永2年(1183年)の平家都落ちに際し、付近一帯にある平家一門の邸宅共々に焼き払いました。今は往時を偲ぶべき遺蹟、遺物は何一つ見当たらず、市民の憩いの場である梅小路公園やJR在来線、新幹線がひきりなしに往来しています。

キララを丁寧に再メンテ中のMくん@Aサイクル 城南宮 鳥居には、三光(さんこう:日月星)の神紋
一週間で随分と散ってしまった梅花
花の写真撮影は難しい・・・ 薮椿 しだれ梅@楽水苑・春の山
散り染めのしだれ梅 鳥羽大橋(R1号線)
世界文化遺産・東寺(救王護国寺:左寺)

延暦13年(794年)、桓武天皇が平安京造営に際し国家を鎮護する為、羅城門を挟んで朱雀大路の東西に二官寺として建てられたのが、東寺と西寺でした。造営当初の平安京では、僧の政治干渉を排除する為に東寺、西寺の二官寺しか建造が許されませんでした。東寺は、大路の東(左京)にあったので東寺と言い、一に左寺、左大寺とも言います。始め、造寺司を置き、延暦16年(797年)頃から造営が開始されましたが、弘仁6年(815年)、僧侶を別当とする造寺所が設けられ東寺は弘仁14年(823年)、嵯峨天皇から弘法大師(空海)に下賜され大師は天長2年(825年)、仁王護国の本尊を安置し真言密教の根本道場とし、教王護国寺と号しました。以来、朝野の崇敬篤く、天下に事あるごとに当寺において修法祈祷を行い、延暦寺と並んで顕蜜(げんみつ)二教と言われ、我が国の宗教界に君臨しました。中世の兵乱等で創建時の建物は失われ往時の遺構を留めませんが、今も鎌倉初期〜江戸初期に至る各時代の古建築を有します。後白河法皇の皇女・宣陽門院、後醍醐天皇、豊臣家、徳川幕府の庇護を受け復興し現在の伽藍配置は、南大門(重文:桃山期)、豊臣秀頼が再建した金堂(国宝:桃山期)、貞観仏群がひしめく講堂(重文:桃山期)、食堂(じきど う)、北大門が一直線に並び、南大門の東に徳川家光が再建した五重塔(国宝:江戸期)、西に潅頂院(かんじょういん/重文:江戸期)など、奈良時代の寺院建築様式で再建されたものです。国宝20件、重要文化財45件の寺宝を収蔵する事でも知られます。

鴨川 雨が本降り!( ̄▽ ̄;)!! @世界文化遺産・東寺(教王護国寺)
南大門(重文:桃山期)、金堂(国宝:桃山期)

南大門(重文:桃山期)・・・九条大路に面して建つ三間一戸の八脚門で屋根は切妻造、本瓦葺で蟇股(かえるまた)などに桃山風の建築様式が見られます。元の南大門は重層の楼門で正面五間と言われ、文覚上人の再建後、文明18年(1486年)の土一揆に焼かれました。今の門は明治28年(1895年)、蓮華王院三十三間堂の西門を移したもので堂々たる威容を見せています。金堂(国宝:桃山期)・・・延暦15年(796年)に創建された東寺の本堂です。文明18年(1486年)に焼失し今の金堂は豊臣秀頼が発願し片桐且元を奉行として再建させたもので、慶長11年(1606年)に完成しました。奈良大仏殿の古制を真似て天竺様の挿肘木(さしひじき)を用い細部には唐、和風の各技術も巧みに折衷した桃山時代仏寺建築の優作で堂内には薬師三尊(桃山期)、十二神将を安置します。近年、金堂を解体修理の時に創建当時の礎石が発見され位置及び規模が大体、創建時と同じである事が確認されました。

南大門と五重塔 南大門(重文:桃山期) 金堂(国宝:桃山期)
五重塔(国宝:江戸期)

方三間、高さ55mからなる本瓦葺の塔で我が国現存塔婆では最高、最大とされます。正保元年(1644年)、徳川家光が古制に則って再建したもので塔内部は心柱を初層まで通し、八方の板壁には真言八祖、扉には護法八天などを極彩色で描いています。

徳川三代将軍・家光が寄進した日本最大で最高の五重塔(国宝:江戸期)
講堂(重文:桃山期)、食堂(じきどう)

講堂(重文:桃山期)・・・天長2年(825年)、弘法大師によって着工され承和2年(835年)頃に完成し、その後の台風や地震で大破し修理を重ねてきましたが、文明18年(1486年)、土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は慶長3年(1598年)に再建された建物で、内部中央壇上には、大日如来を中心とする五仏を中心とし、その右に五大菩薩坐像五体(国宝:貞観期、但し中尊は除く)、左に五大明王像(国宝:貞観期)、四隅に四天王立像(国宝:貞観期)21体の諸仏を安置します。食堂(じきどう)・・・元は、僧侶達が斎時に集まり食事をした場所で建立年代は不詳てすが昭和6年(1931年)12月21日、焼失し昭和9年(1934年)4月に再建されました。聖宝・理源大師による千手観音立像(重文:藤原期)、四天王像(宝物館に安置)を建立した所以から千手堂とも称されます。

講堂(重文:桃山期) 食堂(じきどう) 京都七福神の一「毘沙門堂」
御影堂(大師堂/国宝:吉野期)

康歴元年(1379年)に焼失しましたが、翌年に再建されました。前堂と後堂の二堂に分かれ檜皮葺、入母屋造の屋根二棟が混み入って建っています。外面は蔀戸(しとみど)をはめ、妻唐戸(つまからと)を用い一見、寝殿造を思わせます。ここは、弘法大師の住房跡と伝え堂内には弘法大師坐像(重文:鎌倉期)、大師の念持仏の秘仏・不動明王坐像(国宝:貞観期)、五重小塔(重文:鎌倉期)を安置します。

御影堂(大師堂/国宝:南北朝期) なななんと・・・桜が満開!(@_@;)
阿津桜が本降りの雨にも関わらず、一際美しく咲き誇っています!!!(@^▽^@)
雨雫がしたしる桜花 弘法大師と同行二人のお遍路案内図 金堂(国宝:桃山期)、講堂(右:重文:桃山期)
清和源氏ゆかりの六孫王(ろくそんのう)神社

清和源氏の祖・六孫王経基(つねもと:貞純親王子)を祭神とする旧村社。社伝によると当地は、経基の旧宅地でその子・満仲によって社殿を創建したと伝えます。元禄13年(1700年)、遍照心院大通寺の僧・南谷は幕府に請うて社殿を再建、寺の鎮守社としてから社運は隆盛した。今の社殿は、その時のものと伝え本殿には、経基及び八幡大神を合祀、他に貞純親王と源満仲を祀った末社などがあります。境内の石灯籠数基は松平吉保始め、徳川譜代大名が寄進したもので江戸時代における武家信仰の程が偲ばれます。

東寺をあとに・・・ 清和源氏ゆかりの六孫王神社
参道 すぐ傍を新幹線が走ります・・・ 拝殿
本殿 JR京都線(東海道本線)と大宮跨線橋 梅小路公園
清盛ら平家一門の壮大な西八条殿があった梅小路公園

平成7年(1995年)に平安京遷都1200年を記念して、梅小路駅貨物ヤード跡地(11.6ha)に作られたビオトープもある都市公園。さわやかな木々の中に小川が流れる「いのちの森」、水遊びのできる「河原遊び場」、広大な「芝生広場」、大型の遊具がある「ふれあい広場」、京都で培われた造園技術と日本庭園では、使われない洋花を見事に調和させた「朱雀の庭」、日本を代表する蒸気機関車がズラリと動態保存されている梅小路蒸気機関車館などがあり、京都市民の憩いの場となっています。

この辺りは、平安時代後期に平清盛ら平家一門の壮大な西八条殿がありました・・・
JR嵯峨野線(山陰本線) 梅小路公園と言えば・・・梅ですが?!( ̄▽ ̄;)!!
見頃を過ぎて散り急ぐ梅園の花々ですが、見様によっては、まだまだ美しい!!!(@^▽^@)
雨降る中、けな気に咲き続ける紅白梅
雨露に濡れる梅花・・・まさに梅雨?! (^◇^;)
いつも思うのですが、花々の写真撮影は難しい?!( ̄▽ ̄;)!!
名残り梅 鳥の囀りが・・・えぇなぁ〜(@^▽^@)

平家西八条殿跡

平家一門の代表的な居館は六波羅館でしたが、洛中における平家の拠点となったのは、梅小路公園を中心に六町歩(720m四方=約518400u)にも及ぶ広大な一帯に清盛が西八条館を造営し、主に妻の時子が住み、光明心院という御堂も建立しました。治承3年(1179年)のクーデター(鹿ケ谷の謀議)の際、首謀者の西光法師が清盛の厳しい詰問を受けた所で白拍子の祇王・祇女や仏御前の物語の舞台ともなりました。福原から上洛した清盛は西八条館を拠点にして朝廷などに圧力をかけていました。西八条館も六波羅館同様に寿永2年(1183年)7月の平家都落ちに際し一門の手で火をかけられ灰燼しました・・・ 余談ですが、平安時代中期の陰陽師・安部晴明が後に土御門(つちみかど)家に改名、晴明の邸宅は梅小路に移り、土御門家は江戸時代まで陰陽道を伝えました。この付近の御前通り八条上るの円光寺と梅林寺の二寺には土御門家の家名名残の天文道の遺蹟、墓が残され梅林寺近くには、晴明を祭神とした稲住(いねずみ)神社があります。

西八条殿の解説
園内を流れる小川のせせらぎ・・・えぇなぁ〜(@^▽^@) 薮椿
京都市のど真ん中である事を忘れさせるような空間を呈している広大な園地・・・遠くに京都タワー
春の花々が美しく植栽されている梅小路公園
梅小路公園案内図 JR嵯峨野線(山陰本線)

梅小路蒸気機関車館

鉄道開業100周年を記念して昭和47年(1972年)に開設しました。鉄道開業以来、一世紀に亘り活躍した蒸気機関車を貴重な交通文化財として末永く後世に伝えることが目的でわが国唯一の蒸気機関車専門博物館で蒸気機関車の事なら「何でもある」「何でもわかる」博物館として、蒸気機関車と供に歴史を刻んできた日本の鉄道文化を実際に体験でき、蒸気機関車の魅力を再発見できる鉄道の博物館です。梅小路公園は平安建都1200年を記念して造られた公園で2.5haにも及ぶ「芝生広場」、水遊びのできる「河原遊び場」、大型の遊具が揃う「ふれあい広場」などがあり人々が憩える公園として整備され京都で培われた造園技術と日本庭園では使われない洋花を見事に調和させた「朱雀の庭」は必見の価値ありです。

旧二条駅舎が移築された梅小路蒸気機関車館 梅小路蒸気機関車館とチンチン電車線路
チンチン電車(N電27型:タンクロ)のりばと車庫 蒸気機関車が見えます・・・
今はJR在来線、新幹線がひきりなしに往来する鉄路大路の西八条殿跡
梅小路蒸気機関車館をあとに・・・ 日本で最初に開業した中央卸売市場 西大路通りを迂回させた若一神社の大楠木
西八条殿鎮守社と伝える若一(にゃくいち)神社

熊野権現の第一王子を祀る小社。社前の老楠木は平清盛の手植えと伝え古来、神木として偉敬され昭和9年(1934年)の西大路通りの開通にあたって伐りはらわれる事もなく道路を迂回させました。当社は勝明寺の鎮守社と云われ明治の神仏分離によって独立。今は、御所ノ内町一帯の産土神とされる。因みに当社は、清盛西八条殿邸内の鎮守社で清盛の勧請と伝えます。

清盛手植えと伝える神木・大楠木 西八条殿の鎮守社と伝える若一神社
相国平清盛像 清盛ゆかりの御神水 境内
本殿 市電の架線柱が残る大宮跨線橋 東寺通過・・・
近鉄沿いで伏見へ・・・ 鴨川通過@京都南大橋 油小路通りを快調にチャリチャリ・・・
西山方面が明るくなりようやく雨もあがりました・・・ 新高瀬川

Tourist  2007.03.05(M)

 

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