伏見九郷の伏見祭06年

 

御香宮神幸祭  2006年9月30日(土)〜8日(日)

花傘日本一!伝説の「風衆会ハムチャンズ」の大花傘

御香宮神幸祭(伏見祭:風流花傘祭)

御香宮は古来、伏見九郷の総氏神で久米村(鷹匠町、金札宮界隈)、舟戸村(柿木浜町界隈)、森村(桃陵町、豊後橋界隈)、石井村(御香宮界隈)、山村(伏見城、桃山東部、六地蔵南西部界隈)、即成院村(そくじょういんむら:桃山町泰長老界隈)、法安寺村(大亀谷五郎太町界隈)、北内村(深草大亀谷付近)、北尾村(深草大亀谷敦賀町界隈)がありました。秋の神幸祭は「伏見祭」と呼ばれる洛南随一の大祭として知られます。昔は旧暦の9月9日に重陽の節句に行われ九郷それぞれに一基づつの神輿渡御の他、お練物、武者行列、そして祇園祭の山鉾のような曳山も出ていました。現在は、徳川二代将軍・秀忠が千姫の誕生を祝って寄進した千姫神輿の他に三基の神輿があり神幸祭には伏見奉行・仙石大和守が寄進した雌雄の獅子を先頭に猿田彦、神輿、馬に乗った宮司、氏子総代、町総代の順で華麗な行列を見る事ができます。伏見祭のもう一つの呼び物が花傘巡行で昔、村ごとに風流花傘を競ったと伝えます。風流とは「ものまね」、「仮装」に類するもので伏見宮貞成(ふしみのみやさだふさ)親王が記された室町時代の日記「看聞御記:かんもんぎょき」に御香宮の祭礼には猿楽や相撲、様々に工夫を凝らした風流が競演されていた事が綴られ「風流花傘祭」とも言われる所以です。祭の歴史を更に詳しく紹介していますので宜しければご覧ください⇒祭の歴史

徳川将軍家と伏見・・・
徳川家康<天文11年(1542年)〜元和2年(1616年)> 千姫神輿

天文11年(1542年)、松平広忠の長男として誕生。永禄5年(1562年)、織田信長と清洲で同盟。慶長2年(1597年)、秀忠の長女・千姫が伏見で誕生。慶長5年(1600年)、関ヶ原で西軍と戦い大勝(関ヶ原の戦い)。九男・義直(尾張藩々祖)、伏見で誕生。慶長6年(1601年)、伏見に銀座を設置。慶長7年(1602年)、十男・頼宣(紀伊藩々祖)が伏見で誕生。慶長8年(1603年)、家康が伏見城で征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開く。十一男・頼房(水戸藩々祖)、伏見で誕生。慶長18年(1613年)、公家諸法度五カ条制定。慶長19年(1614年)、豊臣氏征伐を決定し諸大名に出陣を命ずる(大坂冬の陣)。元和元年(1615年)、豊臣氏との講和決裂。諸大名に出陣を命ずる(大坂夏の陣)。大坂城炎上、豊臣秀頼、淀殿母子が大坂城中で自害し豊臣氏滅亡(元和偃武)。武家諸法度制定。元和2年(1616年)、家康が駿府城で没する。享年75歳。久能山に葬られる。元和3年(1617年)、家康に東照大権現の神号が贈られる。

二代将軍・徳川秀忠が長女・千姫の誕生を祝い御香宮に寄進したと言われる重さ600貫(約2,3t)の千姫神輿です。日本一と言われる重量と桃山文化の真髄である絢爛豪華な金張りの神輿装飾がなされています。残念ながら、あまりの重さの為に昭和36年(1961年)以降、千姫神輿の巡行は途絶えています。

徳川御三家の産土神(うぶずながみ)、伏見九郷の総鎮守社の御香宮神社

縁起には、諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えます。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神:神功皇后、仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説があります。延喜式に記す御諸(みもろ)神社であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し、肥前長光(重要文化財:桃山期)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除け守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張、紀伊、水戸藩)藩祖と二代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。

9月30日(土)「おいで花傘巡行」

「あ〜らうんよいよい」、「あ〜らうんとまかせ」と独特の囃子言葉で各町内〜御香宮まで花傘巡行・・・o(>w<)〇゛ホイット! ホイット!! ホイット!!!
ホイット! ホイット!! ホイット!! ふぉ〜O(^o^)O 大人から子供まで花傘を振って厄払いをします!
子ども達も楽しそう! (^o^) 花傘を振りながら巡行します・・・女の子達も頑張っています!(〃^0^〃)/ 花傘王子?ん??王女かな?? (≧Σ≦)ぷっ
S&Pちゃんでつ ドモッ。。。(@^▽^@) ホヨッ 毎年花傘パレードが行われる大手筋商店街、今年は10月7日(土)午後7時〜です!応援宜しこ!!!
御香宮

御香宮は、伏見九郷(旧伏見町)の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。縁起には、諸説がありますが、筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神:神功皇后、仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、真説だと言われています。

洛南最大のショッピングゾーン 大手筋商店街 大鳥居 徳川頼房(水戸藩祖)が寄進した表門(重文)
さて、お参りしますか・・・ お店がいっぱい・・・いやな予感?(≧Σ≦)ぷっ アカテガニ? ベンケイガニ?? サワガニ???
拝殿(京都府指定重要文化財:桃山期)

紀州大納言・徳川頼宣公(徳川御三家・紀州藩祖)が、寛永2年(1625年)に寄進したものです。葵紋、豊臣桐紋、菊紋などがあります。伏見城の車寄せとも古御香宮の拝殿を移築したとも言われています。

寛永2年(1625年)、徳川頼宣(紀伊藩祖)が寄進した割拝殿(京都府指定文化財:桃山期)は伏見城の車寄せ?古御香宮の拝殿?を移築???
伏見奉行・仙石大和守寄進と伝える雌雄の獅子(拝殿・西の間) 三基の神輿(拝殿・東の間)
三基の神輿(拝殿・東の間) 二代将軍・徳川秀忠が長女・千姫の誕生を祝って御香宮に寄進した千姫神輿
「名水百選」に選ばれた石井(いわい:御香水) 慶長10年(1605年)、家康が再建し神功皇后、仲哀、応神帝の三神を祀る本殿(重文:桃山期)
二礼二拍手一礼拝でバッチリお願いします! 常盤御前、牛若ゆかりの常盤井々筒の石橋
神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑

社伝では貞観4年(862年)9月、境内に香り高い清泉が湧出し、薬用にもなったのでこの名が付けられた。清和天皇より「御香宮」の名を賜ったとあります。現在も本殿の脇から湧く御香水は、昭和60年(1985年)、環境庁の名水百選にも選ばれている名水です。

本殿(重要文化財:桃山期) 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 桃山天満宮
桃山天満宮

菅原道真を祭神とする旧村社で天安2年(1445年)桃山の中腹にあった竜播山(りゅうばんざん)蔵光庵の鎮守社であったが、伏見城築城時、寺は嵯峨臨川(りんせん)寺の東に移り神社は、前田家の屋敷内に祀られました。伏見城の破却に伴い前田家も取り払いとなりましたが、神社のみ残りました。俗に「山の天神」といわれ久しく旧地にありましたが、天保12年(1841年)近鉄桃山御陵前駅の東(観音寺南側)に移転、後の昭和44年(1969年)11月、現在の御香宮境内に遷座されました。

芭蕉、去来の句碑 本殿 東門
今年も当てもんですか?恐れ入りまっす?! (^O^;ゞ くださいな〜 ( ̄▽ ̄;)!! しっかり楽しんだので帰りますか・・・(;^_^A
伏見義民一揆(天明義民一揆)

江州(近江)小室藩主・小堀和泉守政方(まさみち)は二代・政一、父・政峰に続いて安永7年(1779年)11月、3人目の伏見奉行に赴任しました。当初は善政を行い名奉行と評判が高かったが、ふとした事から愛妾・お芳の色香に溺れ、それを取り巻く奸臣どもに魂を抜かれたように賄賂、博打、遊興の限りを尽くし暴政を振舞うになり7年間で伏見町民に強要した御用金は10万両にも及んだと伝えます。その為に数万もの伏見住民を窮地に陥れる結果となり、こうした町民を救おうと立ち上がったのが町年寄・文珠九助始め、焼塩屋權兵衛、丸屋九兵衛、伏見屋清左衛門、麹屋伝兵衛、板屋市右衛門、柴屋伊兵衛ら7人の伏見義民でした。文殊九助、麹屋伝兵衛、丸屋九兵衛の3名は天明5年(1785年)に江戸に行き難儀を重ねた末、松平伯耆守に直訴に及びました。その間、伝兵衛は疲労で病死しました。同年、願書は却下されましたが、小堀政方は伏見奉行を罷免され、京都町奉行で再吟味が行われたが、權兵衛、伊兵衛、市右衛門、清左衛門の4名は牢死しました。悪名高き老中・田沼意次に代わり松平定信が老中首座となると、江戸で吟味が行われ政方は領地没収の上、大久保加賀守へお預け、更に吟味を引延した責任を問われて京都所司代、同町奉行、伏見奉行らにも謹慎が命じられ義民7名は改めてお構いなしの申し渡しが出たが、既に残り2名の義民もこの世にいなかったと伝えます。「伏見義民碑」の題字は三条実美の書で、その碑文は勝海舟の撰文によるものです。

伏見義民碑(勝海舟撰文、三条実美筆) 駒札 平成11年(1999年)9月3日、再建の大鳥居
くださいな〜( ノ ̄∇ ̄)ノ・・・しかし、よ〜食べますな〜 ( ̄▽ ̄;)!!親の顔が見てみたい?!(^O^;ゞ 伏見城の外濠だった濠川
田中神社

下鳥羽、横大路の産土神として、冶暦年間(1065年)、八坂神社より、牛頭天王を勧請し、当初は、上流の鳥羽郷田中に社殿があったが、天正年間(1573〜1591年)、この地に大洪水が発生し、現在地に神社の本殿のみが、無傷のまま流れ着き村人達は、この奇跡に驚きお祀りしたと伝えられている。

草津の湊(桂川、鴨川合流点) 10/15に神幸祭が行われる田中神社は下鳥羽、横大路の産土神(うぶずながみ) 
駒札 御神水「牛頭水:ごずすい」は、中々の名水! 本殿
五輪さん、三栖神社

五輪さん・・・鎌倉時代の五輪石塔で昔の武人を葬った場所というだけで単に五輪さんと称する。近年、篤信者が神体化し「山城三好竜神」なる木札を建てて崇拝している。永禄年間当地に津田城を築いた三好左京太夫義継に因果があるかと思われますが不詳です。三栖神社・・・横大路下三栖の産土神で天武天皇を祀るところから天武天皇社、単に三栖ノ宮ともいいます。毎年10月に行われる祭礼では、世に炬火〔たいまつ〕祭りといい、直径1m以上もある大炬火1対を作り担ぎ回る慣わしがあります。これは、天武天皇が大津行幸にあたり当地を通過された時に村人が、松明を灯して暗夜を照らしたという伝説によります。拝殿は入母屋唐破風向庇(いりもやからはふうむかいひさし)を持った立派な社殿でしたが焼失して以来、再建されていません。本殿は二重の基壇上に三間流造の社殿を構え周囲に堀が廻らされているのが特徴です。この辺りを城ノ前と言い、永禄年間(1558〜69年)、三好左京太夫義継が津田城という城館を構えていた所と伝えます。宝永2年の絵図には、三栖神社の南に城郭の一部であったと見られる「土居薮」という所があり最近まで堀も残っていたようです。

勝ち馬像 ディープインパクトは残念でした!(爆) 五輪さん 天武天皇の杜と呼ばれる三栖神社
梅姫塚

塚は東面する方形墳で梅の老木と一体石像地蔵尊を安置する。「山城名跡巡行志」第5巻に掲げる蓮如上人の息女・妙勝尼の塚とはすなわち此処を云ったものですが「山城志」に記す「女郎塚」がこれに該当するかは不詳です。三栖付近に現存している唯一の古墳です。

二重の基壇上に三間社流造の本殿 「伏見三栖祭」10/8:炬火祭 15:本宮祭(雌雄獅子巡行)  梅姫塚
10月4日(水)「花傘巡行」

今祭2回目の花傘巡行・・・「あ〜らうんよいよい」、「あ〜らうんとまかせ」 お〜 Eちゃんだ!久しぶりっ! (@^▽^@)

ホイット!ホイット!!ホイット!! ふぉ〜O(^o^)O 「あ〜らうんよいよい」、「あ〜らうんとまかせ」 がんばれ!Rちゃん!! o(>w<)〇゛
よい!よい!!よい!!!よい!!!! o(>w<)〇゛ イエ〜イ! Eちゃん、大きくなったな〜 (@^▽^@) いなせだね〜 (@^▽^@)

ホイット! ホイット!! ホイット!! ふぉ〜O(^o^)O 子供たちが楽しく、元気に花傘を振って厄払いをします! (@^▽^@)
ホイット! ホイット!! ホイット!!! o(>w<)〇゛ふぉ〜 Eちゃんとツーショット!イエ〜イ! (^_^)v
10月7日(土)「花傘パレード@大手筋商店街」
花傘パレードは、残念ながら年々参加数が減っていますが、今年も参加22団体で熱く々開催されました。いざ、出陣じゃ〜 o(>w<)〇゛
各町内で趣向を凝らした花傘で厄を祓います・・・「ほいっと!ほいっと!!ほいっと!!!」皆、がんばれ! o(>w<)〇゛ ふぉ〜〜
お〜!ねてるくんが起きてますがな!(爆) 「あ〜ら、うんよいよいよい! あ〜ら、うんとまかせ!! 」
ん?PT桃山に乱入したちび丸くんの姿が!(爆) ほいっと、ほいっと、ほいっと・・・Sちゃんもがんばれ! o(^o^)o ふぉ〜〜
ほいっと、ほいっと、ほいっと! どもっ! (@^▽^@) ちび丸くん&Rちゃん父娘花傘!!! o(^o^)o
10月8日(日)「御香宮神幸祭の本祭り」
いなせだね〜 (@^▽^@) 雌雄二匹のお獅子の巡行 σ(^◇^;)毎度〜 ゲゲッ!この人は咬んだらあかん!(^◇^;)おいおい
三木(そうぎ)宮司が神馬で登場! 「ちょっと、ちょっと、ちょっと、あんたはん昨夜、門前で花傘振ってたね?」 振ってませんけど・・・σ(^◇^;)(爆)
神輿巡行 セイア!セイア!!セイア!!!よい!よい!!よい!!よい!!!!o(*^▽^*)o・・・ど迫力の神輿巡行!
Tourist  2006.9.30(St)、10.02(M)、10.04(Wed)、10.09(St)、10.08(Sun)

 

9/30(土)、御香宮神幸祭(伏見祭)の古来、厄除け神事と言われる「おいで風流花傘巡行」も無事盛大に終わりました。

7日(土)は午後7時〜大筋商店街で花傘パレードも盛大に行われます。8日(日)は稚児行列、武者行列、お獅子の巡行・・・

クライマックスの二基の神輿巡行も盛大に盛り上がり伏見祭は無事終了しました・・・06年の伏見祭も勇壮で熱い祭りなりました。

 

関連サイト

伏見祭06年アーカイブ『神輿巡行』

伏見祭06年アーカイブ『神輿巡行』

   
伏見祭(御香宮神幸祭)05年

伏見祭05年『花傘、神輿巡行アーカイブ』

伏見祭05年『花傘、神輿巡行アーカイブ』

伏見祭(御香宮神幸祭)04年

伏見祭(御香宮神幸祭)04年

伏見祭(御香宮神幸祭)03年

伏見祭(御香宮神幸祭)03年

花傘史上最強!日本一伝説!風衆会

花傘史上最強!日本一伝説!風衆会

御香宮

御香宮

伏見の祭り

伏見の祭り

大手筋界隈

大手筋界隈

 

戻る 2006年探訪コラムに戻る

 

inserted by FC2 system